ろりともだち

議論するにあたり必要なネタバレ要素を含んでいます。

なぜろりともだちがここまで波紋を呼んだのか。

「余りにも残忍な内容のため発売直後賛否両論となった」、とあるが、はたしてそうだろうか。
確かに現実世界に置き換えればそうかもしれないが、所詮作り話、架空の出来事。
エロ漫画の世界においてこの程度の表現はありふれているものだし、ある著名人が情報を発信したのをきっかけに普段このような本を見ない層が批判していただけのようにも見える。

エロ漫画やエロゲーを批判する人は、自分の娘をそんな目に遭わせたくない、少女に残虐なことをするのは法律的にも道徳的にありえない、などと言った理由だろう。
では、そのような人は戦争物の映画で無抵抗の少年少女が射殺されたりする表現はどう思っているのか。それはあまりにも極端だが、漫画の中では人をぶん殴るなんて日常茶飯事、ナイフで刺したり剣で斬ったり、このような作品のことをどう思っているのだろうか。

思うに、リアリティがない作品はノーカウントなどという曖昧な評価基準でもあるのだろう。
少女暴行などは現実世界でも起きてしまっている出来事であるし、逆に銃を頭に突き付けられて殺されるというのは日本人には現実味のない話だろう。
何が違うのか。どちらも現実では許されるべきことではないのに、なぜ前者だけを批判するのか。エロティシズムな表現かつ現実味のある表現を見るとすぐ発狂してしまう人はなんなのか。
おおかたそのような作品に感化され犯罪を犯す人がいるのではないかということを危惧しているのだろうが、架空と現実との区別がついていないのはどちらなのか。

ポルノコンテンツというのは性犯罪を助長するものでは決してなく、逆に抑制するものである。男という生き物が性的欲求を自己管理するためにポルノコンテンツというものは存在する。
もしこれらを奪ってしまったらどうなるか考えたことがあるのだろうか。
性欲に限らず人間の欲は底知れず醜い。他人に迷惑をかけず自分だけでそれを抑制する術があるのであれば利用しない理由が見つからない。

さて、今回の論点はそこではないので本題に移ろう。

ろりともだちを知らないという人は一度こちらに目を通すことをオススメする。
絵柄はクジラックス先生らしくリアルタッチよりのものであり、背景などもしっかりと描きこまれている。

自分がこの作品で最も気になっている箇所はやはりラストの「二人だから・・・できたことだろ?」という台詞である。
一見するといい台詞に聞こえてしまうが、何ができたって女児レイプなので最低極まりない。
そしてこの会話をしている二人は練炭自殺中である。
女児レイプしてしまったことを後悔して自殺を図る?違う、もともと死ぬつもりでレイプしたのだ。

もしこの二人がそれぞれ出会わずに別々の道を歩んでいたら、実際にレイプするという行為には至らなかっただろう。
さらに、もしレイプしてしまったとしても、自殺という道は選ばないと思う。

人は誰しも一人が怖い。一人では新しいことに挑戦するための勇気や度胸がない。
今の生活、今の環境を守ろうとブレーキがかかる。そしてそのブレーキを解除することは並大抵叶わない。
しかし、もし側に常に一緒にいてくれて、一緒に行動してくれる友がいたのであれば、そのブレーキはいとも容易く外れてしまう。
それは良い意味でも、悪い意味でも。

今回の話ではもちろん悪い意味で外れてしまったわけだが、もちろんこれは作り話のことだから言えることであるが、この作品から友という存在の大切さを知ることができるのではないか。

同じ趣味を持ち、たくさんの秘密を共有して、たとえ叶わなかったとしても一時は夢を追いかけ、語り合い、堕落し、絶望し、最後は二人がずっとやりたかったことを思いっきりやって、二人で死ぬ。

多くの他人を巻き込んでいるので迷惑極まりないというか犯罪なのだが、それを抜きにすると決して良い方向へ転がった話ではないが一連の流れ自体を咎めることができない。

赤井がデパートで幼女のパンツを盗撮してバレて逃げていることを山崎に電話で伝えてる時、まず真っ先に山崎は赤井の心配をした。
赤井はいけないことをやってしまったという後悔と罪悪感から苦笑いすることしか叶わない状態で、山崎もマジでやっちゃったのか、と驚きと赤井に対してなんて言葉をかければいいのか迷っているように表現されている。
しかし、山崎はその後赤井を家に呼び、盗撮を咎めず、「やるじゃん」、と褒めている。

そう言ってしまった山崎の気持ちはとてもわかる。
もしあの場面で赤井を咎めてしまったら、たった一人の親友を後悔のどん底に一人突き落とし、元の赤井ではなくなってしまうのではないかという恐怖があったのだろう。
さらに自分もロリ動画を落とすという不法行為をしているため、咎める権利はないとでも思ったのだろう。それが原因で喧嘩になるのを避けたかったのか。
山崎にしろ赤井にしろ、自分のことを理解してくれている人間は、たった一人なのだから。

しかし、ここで二人の最後のブレーキが外れてしまったと思う。
もし山崎が、少しでも赤井に対して実際にやるのは不味いだとかそういうのはよした方がいいということを伝えていれば、きっと二人は女児レイプなどという行為には及ばなかっただろう。
山崎がネットでロリ動画を落とし、それを赤井が受け取り、女児犯してえな、などと宝くじ当たらねえかなと同等に夢物語のように語る日々ですんでいただろう。

一人じゃできないこと、二人だからできること、二人だからできてしまうこと。

この作品をただのエロ漫画と見るか、我々に対して何か重要なメッセージを発しているとして見るか、それは個々の価値観にお任せするが、少なくとも私はこの作品をただのエロ漫画として見ることはできない。